イ・ゴンミョンさんのライフグラフ(The Musical 2014年2月号)

24 2月

The Musical 2014年2月号に掲載されています。

★かなりの意訳もありますので、参考程度に★

再び、頂上の入口で イ・ゴンミョン

 

lgm_lifegraph

 

1996年 [ガイズ and ドールズ]/[コーラスライン]

 

 

1997年 [ショーコメディー]

[レ・ミゼラブル]関係者たちの目に留まる。

“私がアンジョルラスで出演した[レ・ミゼラブル]は海賊版公演だが、

俳優ライフグラフで、高いポイントの作品です。

アンジョルラスで、人々の目に止まり始めたからです。

地方公演では、マリウスのダブルキャストの先輩が出演料問題で降板したので、

(その時代には出演料をまともにもらえないケースが多々ありました。)

私が、無謀なことをするハメになりました。

‘元祖’マリウス役の先輩の突然の事情で、

私がピンチヒッターになったんですよ。

今では想像できないことですが、リハーサルなしで、

すぐに本番をやらされました。

台本を覚えれなくて舞台に上がる悪夢を見るように共演したが、

幸いにめちゃくちゃでなかったのか、それ以来マリウス役の先輩のスケジュールによって、

マリウスとアンジョルラスを行き来しました。”

 

 

1999年 [ザ・ライフ]

祝!ファンページ イ・ゴンミョンドットコムの開設(現在のサイトの前身。)

”[ショーコメディー]以降、初のスランプが来ました。

IMFの影響で、次回作3本が次々にぽしゃって、

ほぼ1年を休むようになったんですよ。

若い年代で失業者というレッテルが貼られてから

自尊感が地の果てまで落ちていきました。

私のゆがんだ姿に嫌気が差して、彼女までも離れて、

毎日酒浸りで暮らしました。

絶望のどん底で引き出してくれたのは、

[ザ・ライフ]アンコール公演です。

見た目が良いアンサンブル俳優を探していた制作会社の目に止まって、

(その時は、私のことは’背の高いミュージカル俳優’で通じました。)

もう一度機会をつかむことができました。”

 

 

2000年  [サウンド・オブ・ミュージック]/[デュエット]/[ローマの休日]/[レント]

来るもの拒まずに成し遂げた成果

“デビュー後、最も刺激的なスリルを得た瞬間は、

[レント]のパンフレットが出た時です。

ナム・ギョンジュ(ロジャー)、チェ・ジョンウォン(ミミ)、

そのすぐ横に私の顔が!

最高の話題作で、トップ俳優たちと肩を並べるとは、

本当にゾッとしたんです。

しかし、マークを担当するまでは、紆余曲折が多かったんです。

オーディション合格後、無名新人を主人公に立てることができないという

投資者たちの反対にぶつかったんですよ。

練習期間のうち半分を配役もわからずに、

練習しなければならなかったその時の心情を思うと。

本当に’残ってみよう’と思う気持ちで、歯を食いしばって練習しました。

忍耐の時間があったから、韓国ミュージカル大賞の男優新人賞を受賞できたみたいです。”

 

 

2001年 [レント]/[シカゴ]/[ラッキールビー]/[チクチクブーン]

私の人生の作品

” [チクチクブーン] 初演は、3劇場で同時に上演されました。

江南チーム(ナム・ギョンジュ、チェ・ジョンウォン)、

大学路チーム(ジュ・ウォンソン、チョン・スギョン)、

新村チーム(イ・ゴンミョン、キム・ソンギョン)、

こんなに3チームの公演が、それぞれ他の劇場で同日同時に開幕したんです。

はたしてどのチームが勝者になるのか、

人々の関心がすごかったです。

その対決の勝者は、うちのチームではなかったかな(笑)

チーム人気ごとに劇場の規模が違って、私たちが一番小さな劇場で上演したが、

なにしろ [チクチクブーン] は、小劇場にふさわしい作品じゃないですか。

さらに、30歳になるのがコワイ若者たちの話だから、

若い俳優だった私たちとよくマッチしました。”

 

[キスミーケイト]最高の興行作、満足度は最低

“練習初日、巨匠、イム・ヨンウン演出の先生から直撃されたんです。

‘お前の演技はなんでそうなんだ!’

その瞬間、氷になって固まってしまったんです。

初日から’メンタル崩壊’に陥った私をかわいそうに思ったのか

先輩たちが、コーチをしてくださいました。

しかし、それは毒になったんです。

いったい誰の言葉に従わなければならないか、分からなくなったんですよ。

終わるまで、見当がつかなくて、本当に’病身’のように演技しました。

幸いに自分の役割の比重が、大きくなく作品は流されたんです。”

 

2002年 [サウンド・オブ・ミュージック]/[ユーリンタウン]/[ギャンブラー]/[レント]

 

 

2003年 [ユーリンタウン]

 

 

2004年 [マンマ・ミーア]/[ブラッド・ブラザース]

がらんとした客席の前で

“2004年夏、ミュージカル界に’怪物’がひとつ登場しました。

チョ・スンウという’越えられない壁’です。

スンウが、[ジキルとハイド]のときには、

観客がそこに集中して、他の公演は売れませんでした。

これが全部チョ・スンウのせいだよと、

観客が来ない公演チームは、みんなそんな冗談を言ったんです。

私の作品[ブラッド・ブラザース]初演も、

そのときで、完全にめちゃめちゃに砕けました。

[ブラッド・ブラザース]はプロデューサーが初公演、

公演期間を延長すると言ったほど作品評がよかったんです。

ミュージカル俳優が、異例的に[韓国の演劇]とインタビューもしてるし。

ところが、客席はガラガラでした。

結局、早々に頭打ちされて痛みを味わったんです。”

 

 

2005年 [アイーダ]

夢の配役 ラダメスで培った、幸せだった10ヶ月

“2000年代半ばまで、シンシ・ミュージカル・カンパニーのパワーは、増強しました。

私は’新メンバーシップ’でしたので、話題作にはいつも私の名前がありました。”

 

 

2006年 [アイ・ラブ・ユー]/[ミス・サイゴン]

オーディション初の不合格

“[アイーダ]の公演中、’Fortune Favors The Brave’を歌いながら、声が出なくなったことがあります。

その日の公演は、完全に台無しになりました。

観客たちに入場料を払い戻ししてあげたかったけど、

そのためには、1億ウォンかかるそうです。それは丁寧にお断りしました(笑)

問題はよりによって、その時期に[ミス・サイゴン]のオーディションが

行われていたということです。

オーディション会場に行ったら、韓国スタッフたちが、

‘ゴンミョン、一度見せてくれ!’

というまなざしを送ってくれて。

外国人スタッフたちも、私のプロフィールを見たり、期待に満ちた様子でした。

でもあまりにも下手くそで。声が全く出なかったから。

演出家が、水一杯飲んでまたやってみてと言ったけれど、

遠慮して、オーディション会場から出たんです。

‘有名な作品全て出てる俳優の実力が、このくらい?’

と韓国ミュージカールを軽視されたのではないかという気になり悲惨でした。

[アイーダ]を見に来た、ガイ・シンプソンが私に、

ジョンとしてオーディションを受けないかと言ってくれて、

悩んだ末に、オーディションを見つめ直してジョンにキャスティングされました。

今になってする話だが、正直最初は、’私がどうしてまた助演を?’だという考えもしました。

このような焼き入れ(制裁)が人を作るのです。”

 

2007年 [チクチクブーン]

 

2008年 [19、そして80]/[羅生門]/[ギャンブラー]/[ザナドゥ]/[ラストファイブ・イヤーズ]

 

2009年 [酸素]/[ザ・シング・アバウト・マン]/[ロミオ&ジュリエット]

第2次スランプ

“一部スタッフや俳優たちに、一方的に降板を通報して、

製作者と葛藤をもたらした[ロミオ&ジュリエット]は、あまり良い記憶がないです。

地方公演の日程がキャンセルされて、

急に入った[ザ・シング・アバウト・マン]は、思い出すのも難しいです。

この時期が俳優人生二番目の節目だったと思うけど、

私からすれば、スランプが始まる兆しがしていました。

[羅生門]を生涯初の演劇だと大げさに言ったが、

実はスケジュールが空いてたからやったのでしたから。

[ザナドゥ]もキャスティングされた俳優が、ローラースケートを練習する時間がないと

降板するせいで、私が代わりに入ったものです。

ある瞬間、私が’代役’俳優がなっていました。

否定的な考えを拭い去ることまでは、かなり時間がかかりました。”

 

2010年 [TRUE WEST]/[ミス・サイゴン]

比較!比較!比較!

“[ミス・サイゴン]初演地方ツアーのとき、再演ではクリスを2人選ぶという噂が広がりました。

後で、絶対また挑戦してやる決心しました。

再演の知らせに、クリスのオーディションを見に行きました。

初演のとき、私に’お前はジョンが似合う人’と言った演出家ローレンス・コーナーは、

ふふふと笑って、また来たのかと言うんですよ。

合格までに、10回でも会うことになると言いました。そんなこんなで結局、合格しました。

[ミス・サイゴン]をしながら、最も多くの比較を受けたんではないかと思います。

ダブルキャストがマイケル・リーだったので。

マイケル・リーは本当に歌が上手じゃないですか。

その公演ではマイケルに歌で負けました。”

 

2011年 [切り裂きジャック]/[お母さんの歌]/[菊花の香り]

 

2012年 [キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]/[トゥーランドット]/[切り裂きジャック]

 

2013年 [三銃士]/[切り裂きジャック]

 

2014年 [フランケンシュタイン]

また生まれてくる気分

“今年の期待作に選ばれた新作[フランケンシュタイン]で、一年を始めるようになりましたね。

このような大作のタイトルロールをやり直すことができるという考えに、少しわくわくしています。

このチャンスを無駄に過ごしたくなかったので、熱心に頑張ろうと努力中です。

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